練習 16.8
課題文
ἡ μὲν φύσις ἄνευ μαθήσεως τυφλόν, ἡ δὲ μάθησις ἄνευ φύσεως ἐλλιπὲς μένει.
語彙
文中の語 | 見出語形 | 品詞 | 変化形 | 主な意味 |
ἡ | ὁ | 定冠詞 | 女性/単数/主格 | φύσιςにかかる |
μὲν | μέν | 小辞 | 不変化詞 | μέν A … δέ B 一方でA … 他方でB |
φύσις | φύσις | 女性名詞 | 単数/主格 | 自然, 本質 |
ἄνευ | ἄνευ | 前置詞 | この語は変化しない | 属格なしに |
μαθήσεως | μάθεσις | 女性名詞 | 単数/属格 | 学習, 学問 |
τυφλόν | τυφλός | 形容詞 | 中性/単数/主格 | 盲目の |
δὲ | δέ | 小辞 | この語は変化しない | μέν A … δέ B 一方でA … 他方でB |
μάθησις | μάθησις | 女性名詞 | 単数/主格 | 学習, 学問 |
φύσεως | φύσις | 女性名詞 | 単数/属格 | 自然, 本質 |
ἐλλιπὲς | ἐλλιπής | 形容詞 | 中性/単数/対格 | 不完全な |
μένει | μένω | 動詞 | 三人称/単数/現在/直説法/能動態 | とどまる, 待つ |
脚注
特になし。
出典と翻訳
プルータルコス, 『倫理論集(モラリア)』,「子供の教育について」, 4(2b)
καθόλου μὲν εἰπεῖν, ὃ κατὰ τῶν τεχνῶν καὶ τῶν ἐπιστημῶν λέγειν εἰώθαμεν, ταὐτὸ καὶ κατὰ τῆς ἀρετῆς φατέον ἐστίν, ὡς εἰς τὴν παντελῆ δικαιοπραγίαν τρία δεῖ συνδραμεῖν, φύσιν καὶ λόγον καὶ ἔθος. καλῶ δὲ λόγον μὲν τὴν μάθησιν, ἔθος δὲ τὴν ἄσκησιν. εἰσὶ δ᾽ αἱ μὲν ἀρχαὶ τῆς φύσεως, αἱ δὲ προκοπαὶ τῆς μαθήσεως, αἱ δὲ χρήσεις τῆς μελέτης, αἱ δ᾽ ἀκρότητες πάντων. καθ᾽ ὃ δ᾽ ἂν λειφθῇ τούτων, κατὰ τοῦτ᾽ ἀνάγκη χωλὴν γίγνεσθαι τὴν ἀρετήν. ἡ μὲν γὰρ φύσις ἄνευ μαθήσεως τυφλόν, ἡ δὲ μάθησις δίχα φύσεως ἐλλιπές, ἡ δ᾽ ἄσκησις χωρὶς ἀμφοῖν ἀτελές. ὥσπερ δ᾽ ἐπὶ τῆς γεωργίας πρῶτον μὲν ἀγαθὴν ὑπάρξαι δεῖ τὴν γῆν, εἶτα δὲ τὸν φυτουργὸν ἐπιστήμονα, εἶτα τὰ σπέρματα σπουδαῖα, τὸν αὐτὸν τρόπον γῇ μὲν ἔοικεν ἡ φύσις, γεωργῷ δ᾽ ὁ παιδεύων, σπέρματι δ᾽ αἱ τῶν λόγων ὑποθῆκαι καὶ τὰ παραγγέλματα. ταῦτα πάντα διατεινάμενος ἂν εἴποιμ᾽ ὅτι συνῆλθε καὶ συνέπνευσεν εἰς τὰς τῶν παρ᾽ ἅπασιν ᾀδομένων ψυχάς, Πυθαγόρου καὶ Σωκράτους καὶ Πλάτωνος καί τῶν ὅσοι δόξης ἀειμνήστου τετυχήκασιν.
一般的に言えば、技術や学問に関してわれわれがいつも主張するのと同じことが、徳に関しても当てはまります。
つまり、完全に正しい行為をなすためには、ピュシス(自然的素養)とロゴス(理)とエトス(習慣)の三つを共に働かせねばなりません。
この場合にわたしは学びをロゴスと呼び、訓練をエトスと呼んでいます。
最初の始まりは自然的素養であり、次に学びによる進歩があり、そして練習して使い慣れること、これらの三つのすべてがあって完璧になります。
それらのいずれか一つでも不足すれば、その分に応じて徳が不完全なものになるのは必然です。
なぜなら、学ばなければ自然的な素質は盲目であり、自然的な素質に不足すれば学びは欠けたものになり、そのいずれもがないなら訓練は徒労に帰すからです。
ちょうど農耕において、まず第一に土地が肥沃でなければならず、次に農夫が賢明であること、そして種子がしっかりとしたものでなければならないように、それと同じ仕方で自然的素養は土地に、教師は農夫に、そして言論による助言や勧告は種子に似ているのです。
これら三つのすべての要因が、万人から賞讃されている人たち、すなわちピュタゴラスやソクラテスやプラトンや永遠の名声を勝ち得た人々の魂のなかに、寄り集まり息を合わせて一つになっていることをわたしは高らかに主張できます。
(瀬口昌久 訳)
メモ
ἐλλιπήςが§85のἀληθήςと同様の変化をし、その変化を学ぶことがこの課の大きなテーマの一つ。 課題文の意味は「μάθησιςのないφύσιςはτυφλόςであり(ἐστιが省略されている)、φύσιςのないμάθησιςはἐλλιπήςな状態にμένωする」くらいの内容と思われる。
形容詞τυφλόςとἐλλιπήςは、ここでは名詞的に使われていると判断。 τυφλόςは省略されているだろうἐστιの存在を考慮して主格、ἐλλιπήςはこの課題文ではμένωの目的語になっているとして対格と判断した。
PERSEUSのテキストではἄνευがδίχαになっている。 δίχαは副詞として「二つに(等しく分ける)」という意味で使われることが多いが、ここでは属格支配の前置詞として「(属格)なしの, (属格から)離れた」くらいの意味。 これは学習者が混乱しないためであり、このような改変は水谷のテキストではよくある。